いま僕は、埼玉県横瀬町という、人口八千人ほどの小さな町で暮らしている。ホームページをつくったり、デザインの仕事をしたりしながら、山の気配と季節の移ろいのそばで日々を送っている。
十八歳の春、獨協大学へ進学するためにこの町を出た。そのまま東京で就職し、一度の転職を挟みながら、気づけば十一年。都会の速度に身を任せるように生き、そして四年前、僕は横瀬町へ戻ってきた。
浅見 ゆたか
いま僕は、埼玉県横瀬町という、人口八千人ほどの小さな町で暮らしている。ホームページをつくったり、デザインの仕事をしたりしながら、山の気配と季節の移ろいのそばで日々を送っている。
十八歳の春、獨協大学へ進学するためにこの町を出た。そのまま東京で就職し、一度の転職を挟みながら、気づけば十一年。都会の速度に身を任せるように生き、そして四年前、僕は横瀬町へ戻ってきた。
あの頃の自分は、まさかこの町に帰ってくるなんて、想像もしていなかった。
むしろ、帰ってこないと思っていた。この町には何もない。若かった僕は、そう決めつけることで、前に進もうとしていたのだと思う。
けれど、都会で暮らした時間の果てに、僕は一度、はっきりと絶望した。
朝、満員電車に押し込まれて会社へ向かう。特別な野望があるわけでもない。ただ目の前の仕事をこなし、夜になれば疲れをごまかすように街へ出て、酒を飲み、またお金を使う。増えるはずのものは増えず、減らしたくないものばかりが、少しずつ減っていった。貯金も、体力も、心の余白も。
東京には、いつだって自分よりうまく生きているように見える人がいた。自分より稼いで、高い場所に住み、洗練された服を着て、迷いのない顔で歩いている人たち。そんな景色を見続けるうちに、僕の中には静かな劣等感が澱のように溜まっていった。
競争。その言葉だけが、都会の空気にずっと混じっていた。
あそこには負けたくない。もっと売上を上げたい。もっと評価されたい。もっと、もっと。
けれど、その「もっと」は、どこまで行っても終わりがなかった。幸福は手に入れるものではなく、ただ延々と先送りにされるものになっていた。
「このままで、いいのだろうか」
その問いは、ある日突然やってきたというより、終電を待つホームの冷たい空気の中で、少しずつ輪郭を持ち始めたものだった。気づけば僕は、遠く離れた横瀬町のことを思い出していた。
十八歳で町を出たとき、二度と戻らないだろうと思ったあの場所。その名前を、三十三歳になった僕は、東京の夜の片隅で何度も心の中で呼んでいた。
田舎に住むって、どんな感じなんだろう。
そんなふうに思う自分が、少し不思議だった。
もちろん、すぐに移住したわけではない。週末だけ実家に戻り、少しずつ、忘れていた空気を吸い直した。山の緑は、目が痛くなるほど鮮やかで、空気は驚くほど軽かった。風が木々を揺らす音には、東京では聞き取れなかった静けさがあった。
かつての僕は、この町を「何もない場所」だと思っていた。でも三十を越えた自分の目には、そこがまるで別の土地のように映った。
何もないのではなかった。
ただ、都会にある尺度では測れないものが、
ここにはたくさんあったのだ。
そのことに気づいた瞬間、もう答えは出ていたのかもしれない。
僕は横瀬へのUターンを決めた。
実際に戻ってみると、思っていたより、ずっと不便ではなかった。光回線は引けるし、Amazonは翌日に届く。映画もドラマもNetflixで観られるし、著名人のイベントだってZoomで参加できる。昔、僕が知っていた「田舎」と、いまの田舎はずいぶん違っていた。
朝まで開いている居酒屋も、きらびやかな夜景もない。けれど、それくらいだ。
それどころか、都会にあって田舎にないものは、案外思いつかなかった。反対に、都会にはなくて、ここにはあるものが、いくつも浮かんだ。
なのに僕は、東京にいた頃、幸せのハードルを上げることばかりしていた。もっといい家に住みたい。もっと美味しいものを食べたい。もっとかっこいい服を着たい。もっと洗練されたい。もっと、人から羨ましがられる場所へ行きたい。
そうやって、自分で自分の幸福を遠ざけていたのだと思う。
お金がなくても、心が満たされる場所はある。競争の真ん中にいなくても、自分の価値を感じられる生き方はある。
東京は、周りの芝生が青すぎる。
そして、そもそも芝生そのものが多すぎる。
誰かの青さと比べることに疲れた僕にとって、
横瀬町は、ようやく裸足で立てる地面のような場所だった。
そうして四年前、
僕は東京・大田区から横瀬町へ戻り、
個人事業主として独立した。
横瀬での暮らしは、思っていた以上に豊かだった。ありがたいことに、たくさんの方から仕事をいただけるようになった。田舎での仕事は、本当に楽しい。
何が楽しいのか。それは、人との距離が近いことだ。
都会で働いていた頃、僕はただ目の前の仕事をこなしていた。その仕事が誰を幸せにして、社会にどんな影響を与えて、どこへつながっていくのか。そんなことを考える余裕は、ほとんどなかった。
でも、横瀬では違う。
相談してくれる人の顔が見える。つくったものへの反応が、すぐに返ってくる。お客さんの喜ぶ表情を直接見ることができる。自分がつくったポスターが町に貼られ、ホームページが人づてに広がっていく。仕事が、ちゃんと町の景色の一部になっていく。
それが、たまらなく嬉しい。
都会には、競合が山ほどいた。少しでも気を抜けば埋もれてしまう場所で、自分の存在意義を証明し続けなければならなかった。けれど、ここでは違う。Webやデザインの力を必要としている人がいて、それを届けられる自分がいる。その関係は、もっと素朴で、もっと直接的だ。
規模は小さくなったのかもしれない。
でも、人との距離は圧倒的に近くなった。
その近さの中にこそ、僕は仕事のやりがいを見つけた。
都会での生き方と、田舎での生き方。その両方を通ってきたからこそ、いま感じていることがある。
人はみな、限られたリソースの中で生きている。時間も、お金も、体力も、情熱も、無限ではない。だからこそ、それをどこに投下するかは、人生においてとても重要なのだと思う。
東京にいた頃、自分のリソースを注いでも、それがどこへ染み込んでいったのかわからないことが多かった。まるで砂漠に水をまくみたいだった。水はたしかに撒いているのに、景色は何も変わらない。そんな徒労感が、いつもどこかにあった。
でも、同じ水を横瀬という土地に注いでみると、驚くほど芽が出る。大きな砂漠のような広さはない。だけど、小さな畑は、手をかけたぶんだけきちんと応えてくれる。耕した場所から、ちゃんと緑が顔を出す。
以前、絵本作家で芸人の西野亮廣さんが、「一千万円では渋谷の課題は解決しづらいけど、カンボジアなら同じお金で学校を作れる。そっちの方がおもしろい」という話をしていたのを覚えている。
まさに、そういうことなのだと思う。
限られた時間やお金を、競争が激しく、すでに多くの人がひしめく場所に投じるより、自分の価値がもっとも濃く届く場所に投じる。そのほうが、自分にとっても、周囲にとっても、幸福な結果を生みやすい。
いまでは、県立高校や自治体、地元の病院など、さまざまな仕事に関わらせてもらえるようになった。それはきっと、僕が都会という大きな砂漠ではなく、横瀬町という小さな畑に、自分の持っているものを注ぎ続けてきたからだ。
もちろん、広大な砂漠を開拓していく生き方も素晴らしい。大きな舞台で勝負することにしかない魅力も、たしかにある。でも、誰もがそこを目指さなくてもいいのではないかと思う。
グローバルではなく、ローカル。遠くの大地を征服するのではなく、自分の足元の畑を丁寧に育てる。そんな生き方にも、確かな幸福はある。
東京には魅力的な店があり、魅力的な人がいて、魅力的な情報が溢れている。センスも、速度も、洗練も、圧倒的だ。だから人は、あの光に惹かれていくのだと思う。
けれど、あの眩しさの中に長く身を置くことは、ときに自分の心を静かに削っていく。光が強い場所ほど、影もまた濃くなる。
僕は都会で、その影の深さを知った。そして田舎に戻って、その影が、別のかたちでは希望になりうることを知った。
都会で感じた絶望は、田舎では、誰かの役に立てる手応えに変わった。競争にすり減った感情は、人との近さの中で、もう一度あたたかさを取り戻した。何もないと思っていた故郷は、本当は、自分が生きていくために必要なものを、静かに抱えて待っていてくれたのだ。
だから今日も僕は思う。
僕が都会で感じた絶望は、
この田舎では、確かに希望になるのだと。
浅見 ゆたか ── 埼玉県横瀬町